「スポーツの価値」を定性的・定量的に明らかにしていく「スポーツ未来研究ノート」。前回に引き続き、早稲田大学教授の佐藤晋太郎氏をゲストに迎え、佐藤研究室に在籍する二人の留学生研究者(博士課程)とともに、スポーツの価値や日本のスポーツ文化、そして研究の社会における意義について語り合います。聞き手は、スポーツ未来研究所の中司雄基氏です。
多様性のカオスを超えて。“交差”する学びの場、佐藤研究室中司:まずは、佐藤先生が主宰されている「Sport & Entertainment Management Lab.」についてご紹介いただけますか。研究室として大切にしていることや、育てていきたい研究者像についても伺えればと思います。
佐藤:うちの研究室は、スポーツとエンターテインメントを活用して、社会のさまざまな課題解決に貢献することを目的としています。最先端の教育・研究・実践を掲げており、留学生も積極的に受け入れている点が特徴です。現在は私を含めて19人のメンバーがいて、そのうち12人が諸外国から来てくれたメンバーです。早稲田大学全体としても国際化を推進しておりますので組織の一員として貢献しようという気持ちもありますが、それよりも単純に多様性に対するメンバーの意識が強いので、積極的に受け入れている状況です。 研究においては、個人(ミクロ)、組織(メゾ)、社会(マクロ)というレイヤーのつながりを意識することが大切だと考えています。ただ、大学院生は若く、どうしても個人の興味・関心に寄ったミクロなテーマから入りがちです。それはそれで構わないのですが、その中でも少しずつ、自分の研究が組織や社会とどうつながるのか、という視点を持ってほしいと伝えています。
中司:実際、佐藤先生の研究室には非常に国際色豊かな学生が集まっている印象があります。こうした国際性、多様性は研究にどんな影響を与えていると感じていますか?
佐藤:おっしゃる通り、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ノルウェー、中国、韓国出身の学生がいます。また、出身国とは別に、スペインやアメリカ、イギリスをバックグラウンドに持つ学生がいるなど、本当に多様なメンバーが集まっています。こうした環境は「国際性」と捉えることもできますが、私は「多様性」という言葉の方がしっくりきます。 多様性のある環境では、まず“カオス”が起きるんですよね。「自分の国ではこうだ」「私はこう考える」といった価値観がぶつかり合う。でもそのカオスを乗り越えることで、個人・組織・社会という縦のレイヤーと、多様な文化的背景という横のレイヤーが交わる瞬間がくる。縦と横が交差したとき、斜めにも視野を広げられる。そのような、きめ細かな糸を紡ぐことができると思っています。
中司:その“糸を紡ぐ”作業において、先生が意識されていることはありますか?
佐藤:やはり個々のバックグラウンドを尊重することは前提として大事です。でも同時に、どこの国に行っても、その国におけるマジョリティ文化は存在しますよね。多様性だけが一人歩きすると、どこの組織も同じになってしまいますから、日本にある研究室であれば、日本という文化がベースになります。ですから、私は軸足を日本に置いたまま、多様な文化を取り入れた“多様性の高い日本の組織”をつくっていきたいと考えています。
中司:ありがとうございます。私たちスポーツ未来研究所は「スポーツを、ひろげよう」というスローガンを掲げていますが、佐藤研究室のアプローチと重なる部分はありますか?
佐藤:非常に重なると思います。その上で、「ひろげる」といっても、じゃあ何を広げるのかという話になりますよね。私は、「日本のスポーツ」というスパイスを加えることが大切だと思っています。世界中で同じようなスポーツの価値を提供するのではなく、日本らしいスポーツの在り方を守りながら広げていくことが大切です。実際に海外の研究者を日本のスポーツの現場に案内すると、みんなすごく喜んでくれるんですよ。それは日本のスポーツ文化が新鮮で魅力的だからです。アメリカやヨーロッパのまねばかりするのではなく、日本のスポーツが持つ個性や独自性を生かした形で広げていくことが、これからの時代に求められていると思います。
中司:なるほど、多様性豊かな研究室だからこそ、むしろ日本の良さを再認識して守るという視点が生まれるんですね。
佐藤晋太郎氏(早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授) 日本のスポーツ文化は研究対象として面白い。海外研究者が注目する理由中司:ここからは、佐藤先生の研究室に所属する二人の大学院生にお話を伺っていきます。まずは自己紹介をお願いできますか?
トリル:トリル・オルセンです。ノルウェー出身で、アカデミックな道に進む前に6年間社会人経験を積みました。ノルウェーの大学で学んでいた3年間の中で、オリンピックに興味を持つようになり、当時、交換留学で早稲田大学に来た経験もあります。学生時代には日本語や日本文化も学んでいました。
ジミー:コウカン・シュウ(ジミー)です。中国で生まれて11歳まで暮らし、その後はテニスを通じてさまざまな国を巡ってきました。11歳から7年間スペインで暮らし、次の7年間はアメリカで生活し、アメリカの大学でもテニスを続けていました。その後、メジャーリーグサッカー(MLS)のチームで働いたり、中国に戻って北京2022冬季オリンピック・パラリンピック組織委員会で5年間の実務経験を積んだりと、スポーツの現場でのキャリアを重ねてきました。現在は、佐藤研究室の博士課程に所属し、実務と研究の両面からスポーツに取り組んでいます。
中司:そんなお二人が、なぜ日本を研究の拠点に選び、佐藤研究室に進もうと考えたのか、その経緯もぜひ教えてください。
トリル:ノルウェーで大学生時代に、佐藤先生の論文や記事を多く読みました。特にオリンピックとスポンサーシップに関する内容が印象的で、「この先生のもとで学びたい」と思うようになりました。修士課程に進むにあたり、オープンポジションがあるかを問い合わせ、面接を経て所属することになりました。
ジミー:私の場合は、日本のスポーツが市場としてもカルチャーとしても非常にユニークで、国際的にも重要な位置付けにあると感じていました。若手研究者として、スポーツを深く学ぶには日本が最適だと考えたんです。そうしてリサーチを進めていくうちに、コロナ禍のオリンピック延期に関する佐藤先生の調査論文に出会い、大きく惹かれました。この人のもとでなら、本質的な学びができると思って進学を決めました。
佐藤:二人は現在、DEIをテーマにした研究プロジェクトに取り組んでいます。非常に幅広い領域ですが、その中でもどの観点に注目しているか、改めて教えてください。
ジミー:私は、DEI自体を“主語”として語るのではなく、「スポーツとすごく相性の良いドライビングフォース」として捉えています。例えば、今まで実現できていなかった多様性や包摂性を、スポーツを介して推進していくことができる。スポーツは世の中に変化を促す装置として非常に適していると感じています。最近トリルさんたちと一緒に実施した世界陸上に関する研究では、ダイバーシティに焦点を当て、多様なバックグラウンドを尊重するプラットフォームとしての世界陸上の機能に注目しました。
中司:ドライビングフォースという捉え方が新鮮ですね。DEIを目的ではなく物事を動かす手段として捉えているのですね。
ジミー:はい。その視点から、世界陸上のようなイベントがどれだけダイバーシティを促進するか研究しました。特に、他のスポーツに比べても世界陸上は、より多様な背景を歓迎する姿勢が強いと感じています。
中司:トリルさんは、研究の中でどんな気づきがありましたか?
トリル:定量データを使って、テレビ中継を通じて世界陸上を観戦した人たちの感覚を分析しました。そこで見えてきたのは、ナショナリズムに基づく一体感よりも、DEIを知覚することの方が、「私たちが一つにつながっている」という感覚を強める、という点です。すなわち、「私は日本人だから仲間だ」というよりも、「多様性や公平性、包摂性を感じたからみんなが仲間に思える」という方が、強く共感や連帯感を生む傾向がありました。
中司:これまでスポーツの国際大会といえば「自国を応援する」というのが主流の見方だったと思いますが、今はそこに変化が起きているのかもしれませんね。
佐藤:ターニングポイントがいつだったのかは定かではありませんが、今回の世界陸上は、そうした新しい感覚を後押しするようなイベントだったと思います。もちろん、放送したテレビ局の編集・演出が与えた影響もあると思いますが、「国を挙げて戦う」よりも、「人間の可能性を称え合う」という感覚が前面に出ていたように思います。
中司:そう考えると、東京オリンピック・パラリンピックの大会モットーが「United by Emotion(感動で、私たちは一つになる)」だったことも、象徴的な出来事だったかもしれませんね。当時はコロナ禍で観客が入れず、感情の発散や共有が難しい状況でしたが、世界陸上ではようやく感情を発散できる空間が戻ってきた。そのような流れもあるのかもしれません。
トリル・オルセン氏(早稲田大学 スポーツ科学研究科 佐藤研究室所属) スポーツの清らかさとビジネス、エンタメをどう混ぜ合わせるか?中司:トリルさんとジミーさんは、日本のスポーツと社会についてどんな可能性を感じていますか?また、その未来がより面白く、エキサイティングになるために必要なことはありますか?
トリル:ヨーロッパ、とりわけノルウェーと比べて、日本のスポーツにはとてもユニークな構造があると感じています。それは、学校や大学、そして企業を基盤としたスポーツ文化の存在です。 ヨーロッパでは地域クラブや民間クラブが主な担い手ですが、日本では中学・高校・大学における部活動、さらに企業スポーツがそれぞれ層をなしており、スポーツを支える土壌が多層的に存在しています。たとえば、高校野球の甲子園や春高バレーのように、学校単位での大会が非常に盛り上がる点は、日本ならではの魅力だと思います。
中司:確かに、学校や企業をベースにしたスポーツ文化は日本独特のものかもしれませんね。
ジミー:私は、日本のスポーツはすでにとてもエキサイティングだと感じています。たとえば、ジムでは中高年の方々が楽しそうに運動をしていたり、ゴルフ場に行けば平日でも満員だったりします。日常の中にスポーツがしっかりと根づいていて、それだけでも十分にエキサイティングです。 その上で、次のレベルに進むために重要なのが、「スポーツとエンターテインメントの融合」だと考えています。すでに実践している企業やチームもありますが、スタジアムやボールパークにエンタメ性を加えることで、より感情が揺さぶられる体験になる。つまり、スポーツそのものにプラスアルファの価値を加えていくことで、体験が昇華され、より多くの人を引きつける可能性が広がるのではないでしょうか。
中司:とても興味深い視点ですね。ただ一方で、エンタメ要素が強くなりすぎると、スポーツが本来持っている純粋な魅力が損なわれてしまうのではないか、という懸念を持つ方々もいるかもしれません。そうした点についてはどうお考えでしょうか?
佐藤:その点については私から補足させてください。私はスポーツの価値の根底には、「清らかさ」があると考えています。これは、部活動や青少年の汗や涙のようなものと深く結びついた価値です。ひと昔前は、「清らかさ」と「ビジネス」は相反するものとされてきました。私はこの二つを対立軸で捉えるのではなく、むしろ清らかさを守るためにこそビジネスが必要であり、そこにエンターテインメントが加わることもまた重要だと思っています。清らかさを強調すると、その裏側で何が起こっているのか見えていないという批判もあるかもしれません。 清らかさ、ビジネス、エンタメ。この三要素は、時代ごとに移り変わるものではなく、同時に存在していい。白か黒かではなく、それらをどう調和させていくかが、これからのスポーツには求められているのではないでしょうか。
中司:そのような前提を踏まえて、佐藤先生が研究者として、日本のスポーツ界のどんな点に独自性や可能性を感じているのか、改めてお聞かせください。
佐藤:海外から日本に来た研究者が一様に驚くのが、日本のスポーツに残っている「清らかさ」です。例えば甲子園。試合内容だけでなく、選手たちの姿勢や熱量に心を打たれる人は少なくありません。もちろん、先ほども申し上げたように、甲子園や部活動にはさまざまな課題や議論もありますが、それでも「混じりけのないまっすぐな姿勢」には、ユニバーサルな感動がある。そうした純粋性は、いまなお日本に色濃く残っていると思います。 私が思う「清らかさ」とは、自分のやっていることに一切の混じりけがない状態。そこにビジネスやエンタメの視点をどう折り合わせていくかが重要です。日本のスポーツ界が持つそうした価値を守りながら、どう未来へと接続していくか。それが、私たち研究者に与えられたテーマの一つだと感じています。
コウカン・シュウ(ジミー)氏(早稲田大学 スポーツ科学研究科 佐藤研究室所属) 「スポーツを、ひろげよう」を、これからも共に中司:これからのスポーツの未来を考えていく若手研究者に対して、佐藤先生ご自身の視点から期待することをお聞かせください。もちろん、佐藤研究室のトリルさんとジミーさんに限らず、スポーツ領域の研究に携わる若手研究者に向けたメッセージとしてもお願いします。
佐藤:大前提として、人それぞれやり方は違っていいと思っています。最終的にそれぞれが立派な研究者になってくれれば、ルートはどうであれ正解ですから。その上で、今の時代において私が特に若い人に伝えたいのは、「数とスピードにこだわれ」ということです。少し古くさく聞こえるかもしれませんが、これは本当に大切なことだと思っています。 今は、10秒もあれば動画配信サービスにアクセスしてエンタメをすぐに楽しめる時代です。他にも受動的に楽しい体験が得られる環境が整っているため、そういった気軽なレジャー活動に人々は流れやすくなっています。「研究」もエキサイティングな営みではあるものの、どうしても地道で、自分から向き合わなければいけない意志力を必要とする活動です。だからこそ、若い研究者には、手軽な刺激に流され過ぎず、みずからの手で経験を積むという姿勢を持ってほしいと思っています。 「数」と「スピード」にこだわるというのは、言い換えれば「経験を取りに行く」ということ。若いうちはまず、とにかく打席に立って、バットを振る回数を増やすことが大事です。ヒットやホームランを打つには、まずバットを振らなければ始まりませんから。失敗を恐れず、たくさんの経験を重ねること。それが、研究者としての地力になっていくのだと思います。
中司:では最後に、スポーツを支える企業や、われわれのようなビジネスの現場に対して、研究者として何か期待していることがあれば教えてください。
佐藤:これはもう、感謝の一言に尽きます。私はこれまで長くスポーツマネジメントの研究に携わってきましたが、多くの企業の皆さんが、本当に一生懸命にスポーツを支えてくださっている。その現場を見てきたからこそ、何かを期待するなんておこがましくて言えません。 スポーツを盛り上げるためにお金を投じ、環境を整え、実践の場を支えてくださっていることに、ただただ感謝しています。これからも、ぜひ一緒にスポーツと社会のより良い未来を共創していきたいです。
中司:ありがとうございます。最後に、トリルさんとジミーさんにとっての「スポーツの価値」を教えてください。
トリル:「Connection Inspiration」です。「つながり」と「インスピレーション」を選んだ理由は、スポーツが国や社会的背景の違いを超えて人々を結びつけ、分断が進む社会の中で何かを共に祝える場を生み出すと感じているからです。また、他者の挑戦や達成に触れることで希望が生まれ、人々が自分自身の一歩を踏み出すきっかけになると考えています。
ジミー:「HAPPINESS PURPOSE」です。私が「幸福」と「生きがい」を選んだのには、二つの理由があります。第一に、あらゆる取り組みの根本的な目的は、人々が幸せな人生を送れるよう支援することにあると信じているからです。第二に、スポーツを通じて幸福と生きがいをいかに育むか、そのための具体的なツールや道筋を提供したいと考えているからです。
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