澤本:基本的にクライアントは自分たちの商品が売れるようにと仕事を依頼しています。ですから15秒とか30秒の中に仮に商品情報だけを羅列するCMもできるわけです。しかし、ただ情報を伝達しているCMと、エンターテインメントを加えたCMが同じ効果があるとしたら、僕は後者を選ぶべきだと思っています。
その理由は、何かしらの感情を付加することで、世の中を少し楽しくすることができるかもしれない、と思うからです。人の楽しさや幸せの総量が、仮にそのCMを1日1回見たことで1%上がるとして、1億人の日本人が見れば日本全体としてはかなり大きいですよね。そんなことを仕事にできることはなかなかありませんし、それが自分の意図というか思惑といえます。情報だけを伝達したものだと、それは難しい。
人間が1日に接触する情報量が1990年代から2000年にかけて等比級数的に伸びていているという話があります。仮説ですが、頭の中の脳がハードディスクだとすると、その容量は決まっているわけで、昔はけっこうスカスカでした。一方、今は情報が多すぎて常にフルになっている。すると、自分にとって関心がある情報とない情報を瞬時に判断して、取捨選択します。興味がないものについては無関心だし、興味があるものについては自分で調べたりと二極化が進んでいる現状では、CMとして出す情報が視聴者の興味や関心の対象として整理されなければ、広告として全く機能しないと思っています。
新井:情報があまりにも過剰なため、意図がなかなか伝わりづらいところもありますね。
澤本:興味や関心があると思ってもらうための手段の一つが、「白戸家」でいえばちょっとしたユーモアやエモーショナルなものを出すことで成功しています。そのあたりの競争の度合いが過去に比べて厳しくなっているのではないでしょうか。昔のCMはたとえつまらなくてもフリークエンシー(広告の到達頻度)が効いていました。朝から晩まで同じCMをくり返すと人間はいつの間にか覚えてしまいます。しかし今は、CM自体がつまらないと飛ばされますから、フリークエンシーがあまり介在しなくなっています。例えば、頻度100のフリークエンシーで接したが記憶する欲望がゼロだとすると、100×0で0です。でも1回しか見なかったとしても、そこに記憶したいという欲望が2あったら1×2で2になります。だからフリークエンシーよりは、印象度とか気持ちに残るポイントを上げていかざるを得ないのです。その論議を突き詰めていくと、大量にスポットを買う方法が成り立たなくなるということです(笑)。
フリークエンシーにさほど意味がないとすると、15秒スポットに全部のCMを振り分けるのがいいのか、という疑問も湧きます。秒数によってCMの伝達する意図に向き不向きがあるからです。15秒では絶対に人は泣けません。30秒でも足りない。エモーショナルなもので人を泣かせるには60秒は必要です。そして今は物語性があるCMのほうが、より多くの人に拡散するように思います。
白戸家「父親=犬」の裏舞台
新井:ストーリー性があるCMであるためには、ある程度、時間が必要なんですね。
澤本:そうです。物語性があるものにするには、どうしても秒数が必要になります。ただ名前を覚えさせるのであれば15秒CM4回でもいいけど、そこに企業イメージや感情を一緒に描こうと思ったら、おそらく60秒1回のほうが適しているはずです。
僕は東京ガスのCMを週に1回だけ90秒流していますが、けっこう、みんなが見てくれます。でも、それは放映中に見ているわけではないんですね。ツイッター等のソーシャルネットワーク上で確認した人が、その番組を追っかけて見るか、もしくは東京ガスのサイトに行ってスマホで見るといったように、見るタイミングやデバイスも違っています。 総合的に考えると、秒数による向き不向きがあるということですね。もちろん僕は15秒を否定しているわけではなく、15秒の役割をきちんと認識してCMをつくればいいと思っています。
新井:私は、同じ情報を与え続けることに効果があるかないかを研究していますが、やはり認知効果の点からいうと、関連性理論を応用できると思います。
関連性理論というのは、関心を持つ対象がなければ人間は情報を得ようとしないという大前提のもとにつくられた理論です。自分が持っている文脈に変革を与えてもらわないと、その場では注意を払っても、解釈をしようとせず、また、解釈しても、すぐに忘れてしまい記憶にも残りません。そういう点で、澤本さんがおっしゃる意図と共通するかもしれません。商品を売るだけのCMを超えた芸術、といえるでしょうね。
さて、今大変人気のある「白戸家」のCMについて、若者たちの間では、「あの犬は現代のお父さんで、家庭に違和感がある存在」という声もあるようです。実際にはどういう発想からあのCMをつくられたのでしょうか。
澤本:側面としては、今言っていただいたことは当たっていると思いますよ。家族の誰かを犬にしようと思ったときに、現代の父親という存在は威厳があるようで実はすごくかわいい。吠えているわりには、かわいいから愛玩される、みたいな共通観念があるのではないでしょうか。逆にお母さんを犬にすると、キャンキャン吠えているけっこうキツい家になってしまいます。
新井:かみつきそうですね(笑)。
澤本:そこで父親にしたわけですが、実は布石となる流れが脈々とありました。このCMを流す前、ソフトバンクは犬だけが会話しているCMをしばらくやっていました。犬が2匹、4匹ぐらいで商品のことをうわさしている、つまり、犬の映像に人の声を当てるというアフレコをつくっていました。では、なぜ犬のCMになったかというと、納期の問題です。
普通、CMは、依頼をいただいてから考えた案をプレゼンテーションし、撮影の準備・撮影、そして編集して完成まで、どんなにがんばっても1カ月ぐらいないとできません。ところが、その納期を早めてほしいという依頼があったのです。
新井:1カ月でも早いような気がしますけどね(笑)。
澤本:最初、僕らは単純に労力的に頑張っていましたが、どうしても限界があることに気づいた。そこでどうすれば一番早くできるかを考えてみると、それは撮影をしないことでした。撮影しないとは、持っている素材を使うということです。でも、人間を素材とすることは基本的に無理です。リップが合わないので、仮に人間の口に後から声を当てても、しゃべっている口の動きと実際の音声がずれてしまい、気持ち悪いからです。
そうなると素材は動物にするしかなくて、犬を100匹ぐらい茨城の公園に集めて、その画をずっと撮り続けてアーカイブをつくり、そこから引っ張ってきたものとせりふを組ませてプレゼンしたのです。だから実は、犬がしゃべるというのが最初。そしてそれをやっている最中に「家族間通話が24時間無料」という課題もいただき、もちろん人間を使ってキャスティングもしたのですが、ソフトバンクさんから、どこかに犬を出せないかな、という話があったのです。
新井:なるほど。やはり、制約というものが本当にクリエーティブを刺激しているというか、とても面白い話ですね(笑)。
澤本:たぶん、事前に犬がしゃべっているCMがなければ、お父さんは存在していないと思います。
コンテクストの重要性
新井:このCMによって具体的にはどのような効果があったのでしょうか。売り上げや認知度はすごく上がったと思いますが、社会現象にもなっているというか……。私たち見る側はテレビを見ていたら、コマーシャルのときにトイレに行こうと思うのに、あのコマーシャルが始まると、これが終わって次のストーリーがどうなるかを確認してから行こうという気になりました。それはやはり、先ほど話に出た意図につながっていると思います。世の中を楽しくできたり、思わず泣いてしまったりするという効果について、実感とか具体的な数字はおありですか。
澤本:クライアントからは評価していただいていますが、詳しくは知らされていません。ただ、おそらくソフトバンクが犬でブランディングを始めたというのが一番大きな成果ではないでしょうか。実は現在、CMのナレーションでは「ソフトバンク」とは言っていません。犬がしゃべっている家族がいれば、ソフトバンクのCMだという認識ができているからです。これはすごく大きな意味を持っています。15秒しかないときに「ソフトバンク」というナレーションで1秒かかると、現実的には14秒の中でやりくりしなければなりません。全然、違ってきます。