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小学校から高校までを過ごした横浜市の鉄町は佐藤春夫「田園の憂鬱」の舞台になった場所。中学時代、そのことをきっかけに「秋刀魚の歌」を知りました。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
(中略)
さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
(佐藤春夫「秋刀魚の歌」から抜粋)

しかし谷崎潤一郎の妻に寄せる思いを詠んだ、この歌。なんともなんとも、当時のぼくはまったく理解できませんでした。

ここで描かれる心象風景はさておき、脂ののった秋刀魚には大根おろしが欠かせません。そして佐藤春夫の故郷、和歌山の習慣だった「青き蜜柑」(すだち的なもの)も、いまや全国的な常識。まさに完璧な組み合わせ。これに熱燗でもあれば、もう言うことなし!です。

ところで広告界の巨人、J・W・ヤングが四半世紀前に看破したように、画期的に思えるアイデアも、結局は「既存の要素の新しい組み合わせ」以外の何ものでもありません。

和菓子職人×前衛芸術家、アスリートの知恵×工場の生産管理、海底×農業

こういった大胆な組み合わせは、常に「アイデア」を生み出す可能性に満ちています。しかし奇抜な組み合わせをしただけでは、「アイデア」にはなりません。なぜなら、それはまだ「課題を解決する新しい視点」になっていないからです。

アイデアをつくる思考プロセスを四つのモードで整理した「ぐるぐる思考」でいえば、こういった無数にある新しい組み合わせを試行錯誤するのは「散らかす」段階です。そこにあるのはまだ単なる「思い付き」。

それから七転八倒、あらゆる可能性を考え尽くして、ようやく手に入る視点。「これなら課題を解決できる」と、ようやく「発見!」されるのがアイデアです。

広告会社がいままで培ってきたノウハウを、広告以外の領域へどんどん転用し、いままでになかったビジネスチャンスをつくる動きに、ぼくは心から賛同します。しかし、もしそれが単に新しい出会いの場をつくるだけなら、それをもって「アイデアのプロデュース」というなら、個人的にはちょっと疑問符を付けたくなります。

「いっちょかみ」という大阪弁は、たぶん広告パーソンに共通する性質を言い当てています。それは「何にでも手を出さないと気が済まない性分の人」を意味するので、J・W・ヤングが言った、クリエーティブな人間は皆、例えばエジプトの埋葬習慣からモダン・アートに至るまで何にでも興味を持ち、あらゆる知識をむさぼり食う傾向があるという話にも通じます。

と同時に「いっちょかみ」には、「ちょっと首を突っ込んでは、すぐ飽きる人」という意味もあります。もし出会いの場をセッティングするだけ、それでうまくいかないと、すぐ飽きちゃうようでは、やっぱり「アイデアづくり」に参加しているとは言えないと思うのです。

ここに広告領域以外でアイデアづくりをする難しさがあります。そこでは、単に首を突っ込むだけではない、主体的な参加が求められます。慣れ親しんだ広告以外の領域で、専門知識もない中、いかに粘り強く関わるか。「いっちょかみ」ではない姿勢こそが必要だと思うのですが、いかがでしょう?

どうぞ、召し上がれ!

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著者

山田 壮夫

山田 壮夫

株式会社 電通

明治学院大学 非常勤講師(経営学) 「コンセプトの品質管理」という技術を核として、広告キャンペーンやテレビ番組製作はもちろん、新規商品・事業の開発から既存事業や組織の活性化といった経営課題に至るまで、クライアントに「棲み込む」独自のスタイルで対応している。コンサルティングサービス「Indwelling Creators」主宰。2009年カンヌ国際広告祭(メディア部門)審査員等。受賞多数。著書「〈アイデア〉の教科書 電通式ぐるぐる思考」、「コンセプトのつくり方 たとえば商品開発にも役立つ電通の発想法」(ともに朝日新聞出版)は海外(英語・タイ語・前者は韓国語も)で翻訳・出版 されている。

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